内澤旬子氏『漂うままに島につき』と植本一子氏『家族最初の日』で日常が非日常になることを考えてみる。

漂うままに島に着き

小さなさざ波はありつつも普通の毎日を繰り返している日々。
それが一つの出来事でひっくり返ればどうなるか。
今回は、内澤旬子『漂うままに島に着き』と 植本一子『家族最初の日』の2冊です。

『漂うままに島に着き』内澤旬子 朝日文庫 朝日新聞出版

漂うままに島に着き

著者の内澤氏イラストレーターとしてまず有名な方だ。

『センセイの書斎』(河出文庫)にて本の大家の書棚を取材し綿密な書斎図を描いている。じっと図を眺めていると吸い込まれそうな細かい仕事をする方だ。

『世界屠畜紀行』(角川文庫)で家畜が肉になるまでを身をもって体験する内澤氏。東京都心の屠畜場が品川にあることにまず驚く。江戸から連綿と続く食肉加工の現場。イラストも交えて血を抜き掻っ捌き、肉の塊に仕上げるまでを読者に教えてくれる。そして携わる人々の言葉はそ知らぬふりをして肉を食べる人々の目を覚ます、そんな本だ。

『身体のいいなり』(朝日文庫)では彼女自身に乳がんが発覚する。イラストレーター兼ルポライターとして豆本愛好家として大量の書物をどうするか。死ぬかもしれないのだ。どこか他人事の夫との歯車が狂い始め、彼女は荷物そして夫と決別しがんを切除する。清々しい気持ちになる著者。

『飼い食い』(角川文庫)では身軽になった著者がなんと3頭の豚を飼う。小屋を借りて一人で育てるのだ。そして屠畜場に連れていって解体し、自ら食す。好奇心でここまでできるだろうか。なんてルポライターだ!!と大声で言いたくなること必須だ。

今回ご紹介する『漂うままに島に着き』では、都内の息苦しさに耐えられず、巡りあわせで小豆島に移住する。文筆業のかたわらヤギのお世話をする。島の不文律をゆっくりと理解し住民との距離感をつかんでいく。狩猟免許を取り猪鹿を仕留めて解体して喰う。磯に出ればワカメもヒジキも取り放題。

内澤氏は生き様そのものがルポタージュだ。ご自身は身を削っているつもりはなくとも読者はハラハラしながら読み進めることとなる。

次になにを体験し、文字に起こしてくれるのか、誰もが経験しうることではないが、生活に根差した話であるからこそ読み進めたくなるのだと思う。

『ストーカーとの七〇〇日戦争』(文藝春秋)という書籍もこの後でている。
凪のような小豆島の話から一変するのだ。内澤さんの人生、どこまで大波が寄せてくるのか。

 

『家族最初の日』植本一子(ちくま文庫)

家族最初の日

この本は植本氏にとっての‘エピソード0‘である。

それを知らない読み手も3月11日は知っている。

これは2010年2月から2011年4月までの東京、きっと中央線か京王線沿線に住む一家の日常の記録だ。ラッパーECDの妻であり、写真家であり、0歳2歳女児の母である著者のブログ。毎日の出費まで仔細に記録している。

ラッパーはよく働き家事もこなすが、数日おきにレコードを購入している。可愛げのある男なのだろう。愚痴の中にも母性を感じる。

同時に著者のほぼ年子の娘たちの育児に大変な日々だ。夫の助けがあるにせよワンオペにならざるを得ない子育ては母親の精神が持たない。感情の起伏の激しい書き手の毎日。小さな幸せを噛みしめたかと思えば、先回りの行為(好意)に癇癪を爆発させたりする。

日付はじりじりと3月に向かっている。読み手は3月11日に何が起こるのかを知っている。災害に予告などないのだ。人々は買い食いしたり無駄遣いしたりケンカしたり、なんてことない日々を送りその日を迎える。
一旦彼女の実家である広島県に避難するも、情緒不安定に拍車がかかり挙句、実家の祖母にまで当たり散らす場面は見ていられない気分になる。
それでも東京に戻ってきて、ゆるゆると通常を取り戻し始めるまでの日記であった。

著者植本氏の旦那様、ラッパーECD氏はもうこの世にいない。

ECD氏の闘病とその後を濃密に描いた『かなわない』(タバブックス)、『家族最後の日』(太田出版)は仔細な家族の日常を描いているが、それは人生の重みを読むことである。

災害によって病を得ることによって立ち止まらねばならない時、女はどんな決断を下すのか。または下さないのか。

才のある女性の文章に教えられ救われることがある。そんな視点から読む本があってもいいと思う。

 

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