『我は、おばさん』岡田 育 氏。堂々と名乗りを上げよ。

『我は、おばさん』岡田育 集英社

はい、強烈なタイトルです。著者の岡田育氏は1980年生まれ。むむ…。育さんの知識は広大です。コミックに映画に小説にと、幅広い題材から「おばさん」を抽出して「おばさん=若い世代に与える人」と定義し、「少女でも老婆でもない長い年月を名無しで通すのか」と問題提起をしている本です。なかなかの賛否両論な内容です。

目次

『我は、おばさん』 岡田 育  集英社

岡田育(おかだ・いく) 文筆家・大学生。1980年東京都生まれ。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。中央公論新社で婦人雑誌と文芸書籍の編集に携わり、2012年に退社後、エッセイの執筆を始める。著書に『ハジの多い人生』(新書館)、『嫁へ行くつもりじゃなかった』(大和書房)、二村ヒトシ・金田淳子との共著『オトコのカラダはキモチいい』(KADOKAWA)。2013年よりCX系情報番組『とくダネ!』コメンテーターを務めたほか、WEB女子同人サークル「久谷女子」メンバーとしても活動中。2015年夏よりニューヨーク在住。現在はニュースクール大学傘下のパーソンズ美術大学でグラフィックデザインを学んでいる。(現代ビジネスHPより)

ブックガイドとしての『我は、おばさん』

この本には実に多種多様な書籍、映画、舞台などが出てくる。共通するのは、血を分けたかどうかは関係ない。自分より若い世代に「斜めの関係」の叔母/おばさんとして、助けの手を差し伸べる存在が描かれていることだ。

映画なら「マレフィセント」「マッドマックス怒りのデスロード」「トッツィー」

小説なら「82年生まれ、キム・ジヨン」「更級日記」「哀しい予感」「夏物語」「若草物語」

コミックなら萩尾望都「ポーの一族」 などなど。

巻末の参考文献自体が”おばさん”に関する考察資料となっている。

おばさんの登場方法は多種多様だ。それは血縁関係としての叔母であったり、通りすがりの知らないおばさんであったり。本当は実の姉というおばもいる。トッツィーなんて男だし、ポーの一族は永遠の少年吸血鬼ではないか。シスターフッドの関係性が強い作品も多い。

若草物語の叔母は才気あふれるジョーに金銭的援助をするという即物的な一例、高校生のキム・ジヨンを力強い言葉で助ける女性。川上未映子氏の「乳と卵」「夏物語」での叔母と姪の関係性。

ほかにも「やっぱり猫が好き」などのドラマから阿佐ヶ谷姉妹の存在まで、でるわでるわのおばさんのオンパレードである。一章ごとに出てきた膨大な”先陣を切る女性たち”を取りまとめ、主張するのだ。

”おばさん”という世代のその長さ

少女の時代が過ぎて、女性は”おばさん”になることを極度に恐れる。そして自分をそうだと言い表したくない。それはとうとう蔑視語になってしまった。安易に呼びかければ、怒気を含んだ目でにらみ返されるだろう。細心の注意を払うべき単語なのだ。

おばさんにならないのなら、その期間の名称はなにか。

その名無しの時代を ”おねえさん” ”オトナ女子” ”美魔女” などの言い換えでしのいでいる昨今だが、”おばさん”であることを迂回しているだけで解決策とはなっていないのだ。

育さんの主張では、自分の年齢を自覚し年下のものたちに何らかの助言ができる気概が出てきたころ、ゆるゆると自身をおばさんと呼びならわす。そして本当のおばあさんになるまでの何十年を過ごすのだと。

”それ”を通り越して”かわいいおばあちゃんになりたい”という願望すらある。“おばさん”にはなりたくない気持ちが根ざしている。「ムシがよすぎる」(ポーの一族のエドガーのセリフ)と喝破されるべきことなのだ、という。

『我は、おばさん』岡田育 集英社

自分で自分を差別している

言い換えないと自らの世代を表せない不自由さ、に気がついて欲しいと、育さんは願っている。

「もう、おばさんだから」と自嘲気味に自称することすら、「そんなふうに自分をいうもんじゃないよー」とたしなめられたり。

そういう経験、どなたでもお持ちなのではないだろうか。私もこの本を読んでハッとなった。

著者は更に問う。

「(おばさんと)呼んで笑う男も、呼ばれて嫌がる女も、対象への同じ差別感情を共有しているのだ。」

差別感情…わたしたちは自らを差別していたのか。ショックですらある。

「なぜ胸を張って、おばさんと名乗ることができないのだろうか」と育さんは問題提起をする。読者はそれぞれ考えながらページをめくる。

ただの名称だった”おばさん”という言葉がたくさんの意味を背負い、蔑視語となりはてた。その年代の女たちが自信をもって胸を張って”おばさん”であるといえるように、言葉を取り戻すべきなのだと。

自分たちが意識改革をしないと、”おばさん”という単語の優しさもおせっかいさも自由度も戻ってこないだろう。その第一歩として、自分で掘り下げることが重要なのだ。

仕組まれた女同士の対立

男性至上主義の我が国で、男性が巧妙に仕掛けた罠におちいるな、と育さんはいう。

フェミニストとアンチフェミニストが、

働く女と専業主婦が、

産んだ女と産まない女が、

対立していがみあうのは、男たちの思うツボなのだと。

男たちはこのグループたちの戦いのどちらかに加担し褒めそやし、支持を得て、成り立ったものがこんにちの日本だ。

女性も輝くために働かねばならない。育児も介護もこなしてもらいたい。現役世代は長く続くので年金支給時期は引き下げる、と。

もちろん子どもはできるだけ産んでもらいたいが、保育士さんは慢性不足気味だし、小1クライシスは頑張って乗り越えて。というのが現実なのだ。

そんな世の中を黙認してきたのも大人になった私たちの責任でもある。

ここで声を上げると糾弾される。

「「物言う女」「行動する女」が社会の中で過剰に嫌われているからに他ならない。我々は、沈黙によってその現状を追認してはならないと思うのだ。」

声を上げた人に対して「フェミっぽい」「私はなんとかやってきた」と女同士で戦いあうのはもうやめようと育さんはいう。

自分の甥姪や子どもの世代は少しでも良い社会になるように、”おばさん”たちで知恵を絞り、道すじをつけるのが本当のお節介なのだと。

『我は、おばさん』岡田育 集英社

女たちのバトンは渡されるべきもの

女は護られるべき存在という幻想そのものが自分達を苦しめている。

「シスターフッドに護られるだけでなく、シスターフッドを護る側として」少女でも老女でもない長い時代を生きていこう、と育さんは呼びかける。

思い返してみる。母と先生以外の女性から差し伸べられる手を。

お友達のおばあちゃんにお菓子をもらう。お友達の年の離れたお姉さんの制服姿に憧れる。ブレーキもかけずに坂を自転車で駆け降りる反ゆず的行為に、「危ないよー」と注意する知らないおばちゃん。迷子の兄弟を家まで送ってくれた知らないおばちゃん。デパートの上の階でサンドイッチをご馳走してくれた年の離れたいとこのお姉さん。

貧弱な私の体験でもなんらかのエピソードは出てくる。

育さんはいう。

少女だった頃に手に余るほど受け取っていた「非・おかあさん」からの愛情を、我々は下の世代へとバトンを渡すことで責任を果たしたと呼べるのではないか、と。

スマホを手に街を歩く世の中になり、“知らないおばちゃん”側になった私たちは、お節介の手を差し伸べる経験が昔より圧倒的に少ないのではないだろうか。

赤の他人であってもおじおばと甥姪の関係性。それを著者は「斜めの関係」と呼ぶ。

その斜線のつながりこそが、「社会にとって必要不可欠な存在ではないだろうか。」と訴えているのだ。

「人々の心を動かす「おばさん」像とは、じつは私たち中年女性だけで作れるものではなく、前の世代の甥姪から次の世代への甥姪へと渡される「斜めの関係」の中で初めて形成されるものなのだろう。」

直接的な母子や父子関係だけでは社会は機能しない。好循環させるために著者のいう「斜めの関係」は潤滑油となりえるのだ。それは一対一の関係も、社会全体をより良いものにする活動も含まれる。

考えれば”おばさん”の活動範囲は広い。その偉大な小さなお節介をひとり一人が繰り広げることで、次の世代はまた少し息がしやすくなるのだろう。

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ピチカート・ファイヴ 「メッセージソング」の解釈

著者はこの歌を聞いて、「遠くから一方的に送りつけられる愛」「身勝手のかたまり」を題材とした歌だと解釈しておられる。性別不詳の大人が不特定多数の子どもたちに向けた歌だと。

その他の解釈として、離れて暮らす父から幼い子どもへ。または光源氏から若紫に宛てられた身勝手な恋文など。

確かにぼくときみがこの歌詞には登場する。ただ、”きみ”は他者ではないと考えている。

何物にもならなかった大人の”ぼく”が、若かった”きみ”という自分自身に対して呼びかけるメッセージ。同一人物への歌。それは時空を超えて、決してたどり着かない願いであり歌である。

小西康陽氏の歌詞はいつも内省的だと思う。一人だけの歌だ。自傷願望や血の匂いのする厭世的な気持ちを、極限までキャッチーでグルービーな音と歌声に載せた。夜の7時に渋谷で待ち合わせたきれいな女の子も、全然彼氏に会えないままなのだ。

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