『セイ、到着間近。京都へ、あなたの平安京へ降り立つ準備はできつつある』。ミアさんはフィンランドの編集者。生け花の師範でもある、バリバリの日本オタク。彼女は『枕草子』に心酔しています。日本語は解らないけれど枕草子を読み込んで誰よりも清少納言の気持ちがわかる人です。この本を読めばミアさんのセイ(清少納言をそう呼ぶ)への深い愛情と共に、平安京に生きた人々の衣擦れが聞こえてくるようです。外国人からの視点で読む2000年代の盛夏の京都は気の毒になるほど暑そうなのです。
『清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』ミア・カンキマキ 草思社
『枕草子』と出会って京都へ
ヘルシンキに住むミアさんは大学時代に読んだ『枕草子』にすぐにはまったのだそうだ。固有名詞を使わずに複雑な官位や職業で呼びならわすことに混乱したものの、ものや風景、現象をいくつも挙げて網羅するさまに共感したのだ。その感覚は現代にも通じるものだったから。
『千年の時を超えて、言葉や文化の違いを超えて、アジア大陸を超えて、古代の平安京から2000年代のヘルシンキにやってきて私の胸に響いたとき、宝物を見つけたと思った。誰もが見逃した宝物を。』
ミアさんは助成金を無事に得て、夏の長期休暇を使って京都にやってきた。真夏の京都だ。少しでも平安を体感するために、快適な宿舎ではなく台所共用の短期滞在型アパートで過ごしている。クーラーもなくて小動物もわんさか出る吉田山のふもとの6畳間。
『セイ、あなたのことまで気が回らない。』そりゃあの暑さでは思考回路も止まるだろう。
大学での研究ではなく、セイを体感しにきたミアさんは自転車で京都市街を駆け巡る。現存の京都は応仁の乱以降の建造物や文化が多数を占めている。平安時代を体感するのは難しいだろうなあ。銀閣寺を訪れたミアさんが静寂と落ち着いた色調に心和ませる段は、平安を少し感じたにちがいない。
衝撃の事実。『枕草子』原本は存在しない。
現存する世界中の『枕草子』は原本の現代語訳や英訳ではないということ。それを知ったのはミアさんが京都にやってきてしばらくたってからだった。
『あなたを読んだと思う。あなたの文章が残っていないなら、私はいったい何を信じればいいのだろう?』
恋焦がれた清少納言のこのエッセイ集は本当に存在したのか。セイが書き留めてから和綴じ本がばらばらになり、それを再編する際に、章が「ごちゃまぜ」なった可能性がある、大いにあると。昔は増幅するには書き写すしかなく、書き損じ、加筆修正、のちの時代に加筆だと疑われたものを減筆したりしたのではないか。そのような学者の見解にミアさんは触れる。当然ミアさんは困惑したのだ。
しかしミアさんはただの文学好きではない。彼女自身の『枕草子』の構成に関する見解はこうだ。清少納言はものづくしリストや日記、随筆を章立てて分類していたとは思えない。それは流れるように同時進行で書き上げられたのだと。
『でも、その「ごちゃまぜ」こそが作品の核で、魅力だと思っている人もいる。』
ミアさんは平安時代の墨書きによる著作の散逸と流布との対比として、2000年代以降のインターネットの中でごくプライベートな文章が公開され改変され永遠に存在し続けるということを共通点としてあげている。
『最終的で完ぺきな作品の本質や意味は霧のように儚い。あなたと私は、それだけが物語を語る方法ではないことを知っている。』
『それでも、セイ、少なくともあなたの名前で印刷された言葉の一部は、おそらくいちばん大事な部分は、あなたの考えから来ているのよね?』
原本がないことは、清少納言にとっても後世の我々にとっても残念なことではある。ただミアさんが清少納言の気持ちに分け入り、親しい友人に語りかけるように清少納言の意思に思いを寄せる幾多のシーン。友情は世代や国籍だけでなく、時代すら超越するものなのかと、ちょっと驚きとてもうらやましく感じる。
日本好きの外国人の目から見た京都を共に旅する
ミアさんはセイに倣って、京都滞在で行きたいところしたいことをリストアップしている。真夏の京都に順応してから彼女は中古自転車を買い、碁盤の目をを駆け巡る。
それを彼女たちに倣ってリストアップ方式で書いてみる。
ミアさんが日本に興味を持つきっかけとなった詩仙堂。この世のものとは思えないほどの静謐さと美しさの寺をとうとう訪れる。『心に宇宙が広がってゆく』。

詩仙堂の庭
京都市博物館で京都の歴史を勉強しようとする。説明書きはほとんど日本語であり、この国はいまだ閉鎖的だと感じる。
国際交流センターの図書館も日本語の書籍ばかり。「緑の目をしたブロンドの人とどうしてもお友達になりたい」と希望する日本の女の子がいるのを知りドン引きしているミアさん。
日本の食事は安くて小さなおかずが美しく盛られていて何を食べても美味しい。
店先で売られているちいさなハンカチや扇子、日傘は役立たずの土産物ではない。京都の暑さをしのぐための必須アイテムだと身をもって知る。
通りがかりの南座で市川海老蔵(現・團十郎)の『義経千本桜』の高額チケットを買い、間近で白い狐の演舞を見る。忘我の境地となり即座に海老蔵のとりことなる。
お能も観にいく。長尺で陰鬱に見えるこの芸能にはほとほと疲れたミアさん。
二条城の回廊と狩野派の襖絵に感銘を受ける。その近くの神泉苑も訪れる。平安の庭園が唯一残っているといわれているのに心動かされない。

二条城
京都御苑(御所)の見学についての章がある。現存している紫宸殿や清涼殿は平安時代創建ではない。後世に作られた建造物だ。清少納言がすごしたのはこの建物ではなかった。しかしここでミアとセイの時代を超越した想いの交感を読み取れるのだ。
『セイ、ここにあなたの時代のものが何もなくても、雲がある。』
樹齢何百年かという松の老木を見て『セイ、あなたは覚えている?』と問いかけるミアさん。雲や樹木に問いかける。こんなロマンチックな呼びかけがあるだろうか。
その想いの深さに応えるように清少納言の幻影がミアさんには見えた。後宮の廊下の角を曲がる『ちらりと見えた袖だけ』。
御簾の向こうで交わされる密やかな平安貴族の日常のように、ミアさんが見ることのできたセイの姿はコケティッシュでチャーミング。心が動かされた場面だ。
さらにミアさんが屋久島を訪問し樹齢二千年の屋久杉に触れた時『あなたと私をわかつ年数が急に意味のないもののように感じ』たという。清少納言を愛し追求したミアさんは森羅万象に問いかける。2000年もの時代の隔たりはこうしてつながるのだと。
清少納言に関する研究
ミアさんはこの京都滞在の対価として、母国で何らかの結果報告を出さなければならない。ミアとセイの心の交感だけでは済まされず、ミアさんは博物館や資料館に足を運び、参考文献に目を通す。
そこで愕然としたのは紫式部との情報量の違いだ。ムラサキに関する書物は内外問わず研究され、現代語訳や翻訳も数多い。清少納言が登場するのは『紫式部日記』の中での、いけ好かないライバルとしてのみである。大物作家(紫式部)の論評の中でしか現存していない、『枕草子』の原本すらない。悪評が独り歩きしている。そしてそのイメージ以外に清少納言を語るものが圧倒的に少ないのだ。
ミアさんは平安時代の政治の背景にも踏み込み研究を始める。それは紫式部との対比でもあり、藤原道長の政治闘争を追いかけることにもつながる。
ミアさんの著作がどんどん深く冴えわたっていく章なのだ。
ミアはセイに。私はミアさんに。
本の紹介で自分自身を語るべきではないが、この本で更に京都を歩いてみたいと思ったのは言うに及ばず、『枕草子』を現代語訳でも全文読んだことがないことを恥じた。近々読みたいと思う。
そしてこのミアさんとはどんな人なのかお会いしたいとも強く感じた。感受性豊かでコケティッシュで想像力にあふれていてちょっと批判的で。きっと清少納言の21世紀における代弁者なのだ。
この本が2013年にフィンランドで発表され、特に女性たちの心を鷲掴みにしたのだという。日本に対する視線は言うに及ばず、憧れに対して行動すること、それによって未知なる扉が開かれること。
2021年の夏、清少納言の母国でこの本が出版され、日本人である私もミアさんの情熱を読むことができた。私はミアさんに憧れる。好きなことを深く追求する大切さを教えられた。
ちょっと分厚い本だけれど、ぜひみなさんに読んでもらいたいと思う。ミアさんの熱量を感じてもらいたいのだ。
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