できればなんの注釈もなくこの本を手に取って欲しい。そして静かに読んで欲しい。夢の断片のような、かすめていった思考のような。美しくて儚い31文字の連なりを堪能して欲しいのです。
読んでしばらくしても、千種さんの歌そのものというより空気感や場所のイメージが突然脳裏に浮かぶことがあります。短歌や俳句にはそんな力があるのだと知らされた一冊でもあるんです。
瑞々しさと不安感の同居する歌たち
千種創一 1988年名古屋生。2005年頃、作歌開始。2009年、三井修の授業「短歌創作論」の受講生らと「外大短歌会」創立。2010年、短歌同人誌「dagger」参加。2011年、韻文と散文の同人誌「ami.me」創刊に参加。2013年、短歌同人誌「中東短歌」創刊。同年、連作「keep right」で塔新人賞。2014年、評論同人誌「ネヲ」参加。2015年、連作「ザ・ナイト・ビフォア」で歌壇賞次席。同年『砂丘律』上梓。2016年、日本歌人クラブ新人賞、日本一行詩大賞新人賞。2020年、『千夜曳獏』上梓。2021年「ユリイカの新人」を受賞。2022年、詩集『イギ』上梓。(筑摩書房HPより)
「砂丘律」。千種創一氏の第1歌集です。彼が19歳から27歳までの間に発表してきた410首を収めています。日本で学生生活を送り恋をする。ある日、一人中東の旅に出て帰国する。恋に破れてまた恋をしている。それを読者も静かに追いかけます。
舟が寄り添ったときだけ桟橋は橋だから君、今しかないよ
防犯カメラは知らないだろう、僕が往きも帰りも虹を見たこと
今年最後のゆうだちと知らずに君が水槽ごしに眺めてた雨
日本で暮らす僕が詠む他者は、同棲する彼女なのかな。そう思わせる句が並びます。日々の暮らしを淡々と、どの瞬間も読者にも出会ったことのある情景が浮き上がってくるのです。
平凡で言葉にするまでもないような毎日を31文字に削ぎ落とす。そこから生まれる一句によって、日常はかけがえのない営みなのだとわかります。まるで音楽が滑らかに始まるような、リズムと鮮やかな情景を内包しているのです。
西瓜という水ひとつぶの球体をだいじ、だいじと抱えて帰る
種のあるはずのあたりは溜池のように透けてる種無しの柿
梨のない季節へ歩きつつ白いヘッドフォーンをうなじに掛ける
また、瑞々しい果物がよく現れます。丸ごとのスイカを一滴の水と表現するその重み。人間により種を除かれた柿自身の幻視を見るような、その人間の目。
梨が出回らない冬、寒々しい白いヘッドホンを外し晩秋の音を聴こうとしている耳。
果物の比喩を通して語っているのは巡る季節と五感を研ぎ澄ませた時間でしょうか。
どら焼きに指を沈めた、その窪み、世界の新たな空間として
だいたいが良い記憶です三月の淡雪にかかわるひとはみな
牧歌的で平和な日々、世界は自分の指ですら広げられるという小さな万能感。
中東での日々と歌の気配
ある日、著者は中東の街へと向かいます。向かいくる砂に閉口し爆撃音や殺戮が日常だという、日本とは真逆の世界。日本と同じ時代なのに。歌の気配が変化します。
通訳は向こうの岸を見せること木舟のように言葉を運び
駅前の、舞う号外の向こうからいきなり来るんだろう戦火は
深く息を、吸うたび肺の乾いてく砂漠はなんの裁きだろうか
闘いの地で著者は一己の人間の寄るべなさを感じています。日本で水分を含んだ歌を詠んでいたけれど、この地では呼吸すら生きることすら罪深き行為のような。
徴兵を戦火を逃れきた人々との出会いが、帰る地のある著者の罪悪感を増しているようです。
召集の通知を裂いて逃げてきたハマドに夏の火を貸してやる
難民の流れ込むたびアンマンの夜の燈は、ほら、ふえていくんだ
2022年初頭から始まったかのような世界の不穏で悲惨な事がら。本当はそれまでも世界は平和ではなかった。日本で暮らす僕たちには想像し得ない日常を生きる人々が確かにいる。それを静かに詠うのです。日本で暮らす僕たちはそれすら糧としているのだと。
【自爆テロ百人死亡】新聞に相も変わらず焼き芋くるむ
そもそもが奪って生きる僕たちは夜に笑顔で牛などを焼く
千種創一氏という歌人は、流れ着くように紛争の街に身を置きました。期せずして日本との温度や湿度の違いが浮き上がるような作風になっています。
現代短歌は制約なく、返歌を求めることもない。掴み取られた事象は歌人によって磨き上げられ、読み手の心の隙間にズシンと響くのです。
読者はどう感じたか。それこそが著者への返歌となるのでしょう。
古本屋という湿地に飛来して5分もせずに次の湿地へ
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