2021年10月にご逝去された山本文緒さん。その直前に出版されていたのが『ばにらさま』です。バニラアイスのようにひんやりとした女の子とその彼氏とのお話は、なんだか歯にも身体にも知覚過敏、痛覚を刺激します。表紙もキュートだけどよく見ると怖いんです。ぜひ帯を外して見て欲しいのです。
『ばにらさま』山本文緒 文藝春秋社
広志と瑞希
語り手。大手金属グループの冶金部門で働く広志。都内の酒屋が実家だが、母の再婚相手が斡旋してくれた会社でまじめに勤めている。
ばにらさま、と広志の友人があだ名した広志の彼女、瑞希。夏から3か月ほどの付き合い。広志と同じ会社の派遣社員で彼女が交際を申し込んだ。
冶金(やきん)と丸の内の「女の子」
この二人が働く丸の内の冶金研究機関。
本文内で冶金(やきん)の説明があった。山から鉱石を採掘し、精製・加工して純度を上げて価値を高め「実用可能な商品」を製造することだそうだ。
下町の商店街で生まれ育った広志にとって、丸の内で働く女性たちは『熱帯魚のようにひらひらオフィスを行き来する』ように見えている。そして彼女たちのことを「女の子」、女性の上司は「女上司」で片づけている。
瑞希を含め熱帯魚のような華やかな「女の子」たちはだいたい派遣社員という位置づけだ。メイクも服装もファッション誌の模倣のように美しく近寄りがたい。だがそれは演技しているようにも見える。あわよくば…の計算が見え隠れしているということだろうか。
自分を必要以上に着飾った女性たちはまるで「冶金」ではないか。商品価値を高めて丸の内で働く「基盤のある男性」と懇意になろうと磨きをかけて価値を高めている。
その対極に位置する群れずに一匹で泳ぐ魚と比喩するのが、パンツスーツで働く正社員の女性たち。この手の女性に苦手意識がある様子の広志は「女上司」とかかわる場面でも彼女の苗字を語らない。
意図的な作者の戦略
女性ファッション誌の特集によくある「妄想30日間コーディネイト」みたいな「女の子」たちと、男性社会に飲まれんとする闘うパンツスーツの「女上司」。
周囲の正社員と思しき男性たちは広志も含め誰もかれも女性たちに対し冷ややかに見える。
派遣社員の女性たちのモデルケースとして瑞希が描かれている。身綺麗で垢ぬけた容姿の内面は、リボ払い地獄であり、栄養不足で体調も良くなさそうだ。仕事にやりがいがあるようにも見えず、かといって実家も居心地が悪い。その不満をネット上で吐き出すしかないのだ。
「ハケン」のを真っ向から描いたお話はいろいろあるが、この『ばにらさま』は一見問題提起をしているようにはみえない。だが派遣の立場の弱さがさまざまなところで垣間見える。
次回の契約更新が延長されるかされないかは、派遣社員にとって死活問題だ。瑞希の場合ならリボ払いが払えなくなるではないか。即座に生活が立ち行かなくなる。それを逆手に取ったセリフがヒステリックな声色で叫ばれる。身に覚えのある両者は肝を冷やすだろう。
後半広志が語る。自分の地元でのつながりと瑞希の孤独を天秤にかける場面は、まるでマウンティングのようだ。瑞希の本音に対して真正面から向き合わない。知ってるはずなのに。
優し気だが決して自分の暖かな陣地から出ようとしない卑怯さが垣間見える。面倒な場面を自ら立ち上げることなく流す涙は美しくはない。
直木賞受賞作の『プラナリア』でも、いい人にみえた登場人物も身勝手だった。お互いを本質的には信じていないようだった。
人の心に必ず棲む冷酷さ
山本文緒さんの描く人々は実際自分のことが一番大事だと思っている。
平穏な生活を脅かす他者を嫌悪するが、ドラマみたいに真っ向勝負なんてするはずがない。そんな人物が描かれている。
読者はその自覚も他覚も存分にあるだろう。だから著者の物語を読んで低温やけどをするのだ。
この主人公はやだな…なんて思いつつ本を閉じるのだが、後日現実世界で自分自身が似た感情を抱き、それに気が付いたところでハッとする。
あのお話の子みたいな気持ちになったぞ。似たような行動を取ってしまったぞ、と。
本から離れたところで小説の一部を思い出す。これこそが小説を読む醍醐味だと思う。
そうやって思い返すことが、山本文緒さんへの花束の代わりになればいいと思うのだ。
女性たちと回遊する魚との比喩、といえば柚木麻子さんの『ナイルパーチの女子会』を思い出す。