『ストーカーとの七〇〇日戦争』内澤旬子氏。被害者が声をあげることの意義。

『ストーカーとの七〇〇日戦争』内澤旬子 文春文庫

内澤旬子さんの著作は常に強い意志を持って経験したことを書いておられますが、今回は怖い。タイトル通り闘いの記録です。事件発生から警察や検事、弁護士とのやり取りを読むにつけ、途方もない労力を伴うことがわかります。決して他人事としてはいけないと思い知らされるのです。

 

内澤旬子さんは屠畜やご自身の乳がん体験、小豆島への移住顛末など、もっぱら自ら体験したことを詳細にルポタージュし発表している。自分自身が取材対象なのだと感じる。

内澤さんは小豆島でヤギを数頭飼いながら、狩猟免許を取得し猟銃も所持している。その表向きの生活を世の中に発表していた水面下、彼女はストーカーと戦い続けていたのだ。

『ストーカーとの七〇〇日戦争』内澤旬子 文春文庫

 

内澤旬子(うちざわじゅんこ)  イラストルポライター。海外諸国へ出かけ、製本、印刷、革鞣しなどの現場をたずねている。手作り本の制作販売、本作りワークショップを主宰。共著に『東方見便録』(斉藤政喜、文春文庫)、『アジア路地裏紀行』(下川祐治編、徳間文庫)、『遊牧民の建築術』(INAX出版)、『印刷に恋して』(松田哲夫、晶文社)など。(新潮社HPより)

 

壮絶な戦いの始まり

 

ヤフーパートナーというマッチングサイトで知り合ったAという男。小豆島の対岸の高松に住んでいる。二人は付き合い始めるが、内澤さんは自分本位なAの言動に我慢がならず別れようとする。そこからAの怒涛のメッセージが止まらなくなったのだ。

暴力はなかったものの、島の自宅に乗り込まれ、飼っているヤギに危害でも加えられたら。あることないことをインターネットで拡散されたら。恐怖で体がすくむ。異様なメッセージに飽き足らず、島の恩人たちに危害が及んだら。彼の行動を止めなければ。ともかくヤギと自身を避難させた上で、小豆警察に駆け込んだ。

その時Aとのやり取りに使っていたFacebookのメッセージ機能。これは”チャット機能があるため、1対1のやり取りに当たらない ”という理由で、この事件の発生当時2016年にはストーカー規制法に抵触しないと警察から説明を受ける。

ここで「なんで!!!」と筆者も読者も声が上がるだろう。なんの線引きやねんと。

それでもAの良心を信じていた内澤さんは、警察にしっかり警告してもらい、恐怖心をあおるような行為を止めてもらえたらそれでよかったのだ。逮捕を望んでいたわけではなかった。

ここで不幸な行き違いがおこる。内澤さんの島の恩人の方がAと対話し、面と向かってではないものの内澤さんに謝罪した。Aはそれで幕引きだと思い込んだらしい。しかし彼には前科があり執行猶予中に起こした脅迫罪ということで翌日、逮捕となった。

ここでAの怒りは増幅する。謝罪したのになぜ捕まったのだ。

その後、弁護士を通して見舞金と謝罪文をよこしてきた。しかし内澤さんは受け取らなかった。受け取ることで幕引きの意思表示だと思われてはたまらない。野放しにされたAが再びストーキング行為をしないと誰がいえるだろうか。

内澤さんは相手方弁護士にも、ご自身で立てた弁護士にも誠意をもって対峙するが、弁護士は法律的な観点、起訴か示談による不起訴になるのか、その点を重要視しすぎていると感じる。

被害者である内澤さんが、そしてストーカー被害を受けている誰もが望んでいること。実刑でも執行猶予でも構わないのだ。その後世の中に放たれたときに報復に及ぶのではないか?自分や周囲に危害を加えないと一体誰がいえるのか。その一点に尽きるのだ。

内澤さんは示談交渉に応じた。内澤さんの提示した慰謝料をどんどん減額要求してくる相手方。内澤さんは著作家であるので、この事件を世に出すことを条件としていた。だがそれすらかなわない示談内容で決定してしまった。

心身ともにほんとうにくたびれ果てている状態で、何度も示談書の改稿に目を通すことに限界を感じ、気が付かないままゴーサインを出してしまったのだ。

それを誰が責められようか。専門用語に満ち溢れた書類を精査しなければならない。それは過去の恐怖を追体験する行為でもあるのだ。判断力が低下しても仕方がない。

金銭も時間も削り取られ、自分の弁護士にも守ってもらえないと感じる。

 

Aの釈放と書き込み

 

示談から釈放に至ったとたん、電話が鳴り、2ちゃんねるへの書き込みが始まった。誹謗中傷、下世話なネタ。示談とはなんだったのか。法治国家の意味をなさない状況。

これが現実に進行するストーキング行為なのだと目の当たりにして、心の底から恐ろしく感じた。著者と共に読み手も考える。弁護士は交渉成立すれば案件終了。警察は事が起こりかけるまで動けない。

では誰が自分と周囲の大切な人々(とヤギ)を守るのか。

被害者側も警察検察裁判所と出向いては、継続して恐怖の過去やストーカー本人と向き合わなければならない。

日常を奪われることに疲弊し、被害者も糾弾される世の中でもあり、なにより起訴して相手の感情がさらに激化することを恐れて不起訴に至った。この種類の事件ではよくあることだそうだ。

にもかかわらず、加害者側は法的な枷もやすやすと乗り越えた。

「被害者救済は全然整備されていないと思います」とAについた弁護士の発言だ。

刑事告訴するにはAの書き込みが激化し、警察が動ける状況になるまで難しいとのことだ。なにそれ。それまで野放しのストーキング行為を甘んじて受けろということなのか。おぞましいとすら思う。

内澤さんは知人友人に2ちゃんねるを監視してもらいつつ、被害者支援センターに相談に行っている。紹介された弁護士との対話で誰にも甘えない内澤さんの姿勢が見えた。

果たして自分の思いをこんなに的確に伝えられるだろうか。全ては身を守るためとはいえ、理論の硬度を上げていかなければならないのか。

自分がこの状況ならどうなるだろう。いつまでたっても頭まっしろで戦闘態勢に持ち込めないのでは…と一気に不安になった。

 

戦い続ける著者とストーキングという病

 

内澤さんの孤独な闘いはまだまだ続くのだが、それは本書をお読みいただきたい。一人で何もかも背負い込む彼女の荷物を少しでも軽くしたいと読み手は思うだろう。

内澤さんが最終的に開眼したのは、ストーカー行為というのは精神疾患であり適切な療法が存在する、という事実。法的な裁きを受け服役しただけでは、根本的な解決にはなっていない。治療を受けた加害者はようやくあやまちに気が付いて罪の意識を持つ。そして他者に危害を加えない。

加害に及ぶのは精神的な病だからだ、と理解できても、確かに納得したくない。精神疾患により判断能力に欠けていた、などと言われても腹立たしいだけだ。それでもやがて世の中に出てくるAのような人間が再び凶行に走らないなどと誰が断言できるのか。

そのためにも加害者への加療が必要であり継続的に見守る人が必要なのだと、著者は述べる。世の中には多くのストーカー被害者が存在するはずなのに、声があがらず規制強化も遅々として進まない。被害者側からの依頼で加害者のカウンセリングを行う専門家にたどり着いた内澤さんは少しだけ心の平安を得た。

内澤さんが本書を書いたのは、自分の体験を世に知らせ、同様の被害を負う人々を少しでも改善したいからだ。その思いがひしひしと伝わってくる。そしてなぜ被害者側が、永遠に身を隠して幸せな生き方をあきらめて暮らさなければならないのか。被害者が逃げるのが当然という風潮も変えていきたいという決意も語られている。

重い内容ではあるものの最後まで読み通せたのは、真面目にたまに軽い調子で体験と感情と行動を語る著者の力量によるものだ。それは思い出したくない過去を追体験しつつ書き上げるということだ。プロの物書きの気概だけで到底できるものではない。

たとえ今、当事者でなくても日常生活を送っているのならいつでもあなたも被害者にそして加害者になる可能性がある。そして加害者は薬物中毒と同様更生プログラムが存在するのだから確実に治療し、寛解してもらいたい。それが真実の「被害者救済」なのだという意思を感じる著作であった。

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